今日、実家の父が19時30分他界した。

昨年の9月から、腺がんで入院生活をしていた父だったが、今朝病院の看護婦から、危篤状態だと連絡が入った。

旦那がちょうど休みだったので、家の用事を済ませ、未悠のお出かけの準備を急いでして出かけた。病院には昼頃着いた。
朝から母と兄、そしておばさん(父の姉)、2番目の姉と3番目の姉が見舞いに来ていたらしいが、私が病院に着いた頃には、状態が落ち着いたとのことで、母以外はみんな帰っていった後だった。

インフルエンザがはやっているし、今日は平日だから病人も多く、病院の中には未悠を連れて行けない。
旦那に車の中で未悠を見てもらって、私は病室に急いだ。
病室には母がいて、父がベットに寝ていた。
口には酸素マスク、横には心拍数などを表示する機会がおいてある。
心拍は60くらい。酸素は100(危ないときは酸素を最大にしてもこれが100にならなかったらしい。)。
前来たときは心拍が80くらいだったから確かに弱ってきている。
父は何も言わず苦しそうな顔をしていたし、以前より呼吸が短くなっているような気がした。
私は父に話しかけた。
「おとうさん大丈夫?」返事はない。
前までは、うなずくとかちょっとした反応があったときもあった。
目は開いているがこちらを見ずに天井を見ている。

私はいまさら遅いのだが、今まで(結婚するときにも)言えなかったことを言った。
「おとうさん、私もう30だよ。ほんとに私わがままだったし、したいようにさせてもらってごめんね。そして今まで30年間育ててきてくれてありがとうね。私おとうさんの子供で幸せだったよ。
これから親孝行したいのに、私まだなにも親孝行してないやんか。おとうさんこれからなのに、まだ早いよ。」
涙が出てきた。宙を見つめて開けられた父の目もこころなしか潤んだように思えた。
ただ、私はお父さんの生きているうちにごめんねとありがとうがいいたかった。

しばらく病室にいて、その後、母を連れて昼食を食べに行った。
帰ってきたら3番目の姉がいた。またしばらく病室にいたが、未悠を連れているし、明日旦那は仕事なので帰ることにした。
父が手を上に上げてきた。相変わらず苦しそうだ。
「お父さん帰るね」と話しかけ片方の手を取り握り締める。
父の目、片方は瞳孔が開いたままで、片方は瞳孔が萎んでいる。
今までも危篤ということがあったが今までとは違う。
もっとそばにいてあげたい。。。後ろ髪引かれながら帰路に着いた。夕方17時頃だっただろうか、家に着いたのが19時ごろ。

家で吉牛で買ったお弁当を食べようとしたとき、姉から電話があった。「お父さんの具合がまた悪くなったらしい。すぐきて。」とのこと。旦那の実家に連絡して、未悠を預かってもらうようにお願いし、旦那は車のガソリンを入れに行く。その後、父の携帯から電話が・・看護婦さんだった。「今どちらですか」とのこと。「今家を出るところ」だと伝えると「呼吸不全になっているので間に合わないかもしれません」と。。。
旦那のお父さんと、お姉さんが未悠を迎えに来てくれて、その後旦那が戻ってきて家を出た。19時半頃だった。

旦那の運転で急いで病院に向かう。
私は最初未悠を旦那に預けて、自分だけでも行こうとしていたが、そうしなくて正解だった。
自分でも分かる情緒が普通ではない。涙があふれて、それでいてきが焦って。

間に合いたいが、、私を待っていたらその分父は苦しむということだ、、それもかわいそうだから待たなくてもいいよお父さん。でも急いでいくから。
複雑な心境。

病院に着く。出たところに姉の旦那さんがいた。話しかける。
「お父さんは?」
「今きれいにして着替えたところ」と変な返事が返ってきた「?」と思いながら病室に急いで向かう。
走っている最中、義兄の言葉を反芻する。それって・・まさか・・間に合わなかったってこと?

病室に入る。静かだ。
ベッドの上には昼間見たように父が寝ていた。
でも違っていた。
父の鼻に差し込まれたチューブはなく、気ぜわしい音を出していた酸素マスクはなく。心拍数の機械もない。
そして、随分久しぶりに見た、お父さんの安らかな寝顔があった。
その顔は微笑んでいるようにも見える。
「お父さん」私は駆け寄り、父の顔をジッと見た。やっと痛みから解放されたね。そして、これで本当にもう2度と会えなくなってしまった。私の大好きなそして一番尊敬するお父さん。
涙が止まらない。嗚咽も止まらない。

父の死に目には会えなかった。でも父に言いたいことが言えて本当によかった。言えてなかったら、私は一生後悔しただろう。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

日記内を検索